Vapor Trail

ひこうき雲のように生まれては消えていく思考を、ぽつりぽつりと記していくブログです。

コミュニケーションについてのあれこれ。

こんにちは、Michelleです。なんか固いタイトルになってしまいましたが、なんとなくコミュニケーションって難しいなあって思ってることを、書いてみようと思っただけです。一応、通訳・翻訳や、異文化コミュニケーションについて学んできたということもあるし、今後もコミュニケーションについて頭を悩ませまくる仕事に就く予定なので。

 

最近、グループ課題をやっているのですが、10人というメンバーの多さ+直接会うことができないため、かなりてこずっています。私は、どちらかというと文字でのコミュニケーションが苦にならないタイプで、メールやグループチャットでのコミュニケーションの方が電話よりはずっと楽です。文字にするときには言葉を吟味できるし、頭の中の考えをきちんと整理しながら話すことができるからです。

 

反対に、電話や直接話すことは、とても苦手です。自分でも何を言っているのかわからなくなってしまうことも多いんですよね。これは、私の脳が言葉を超えて高速回転しているからで、何かについて話しているときに、すでに脳みそは新しい情報を捉えてそっちの方に意識がいっちゃってるんです。そして、今話していることに対する集中力が削がれてしまうという。困った脳みそですね。

さらに、電話とか直接の会話は文字での場合よりもずっと多くの情報を含んでいます。声のトーンだったり、しぐさだったり、視線だったり。そういう情報をものすごく取り入れてしまう方なので、電話や直接の会話ではその言葉の裏の裏までとろうとして、結局次に自分がいう言葉に対しても変に気を遣ってしまう。「あの人こう言ってるけど、100%そう思ってはいないんじゃないかな、だったら次の発言は100%言い切りにしない方がいいし、こういうトーンで行った方がいいかな」なんて考えてしまうのです。

 

これがまだ日本人同士だったら、その読みは当たっていることも多いのですが、注意しなくちゃいけないのは違う文化的背景を持つ人との会話です。私はこれで留学中本当に苦労しました。アメリカ人のルームメイトは、言ったことが全てなんですよね。本当に。だから変に気を遣ったことが取り越し苦労だったり、反対に私が気を遣って行った本心ではない言葉を、本心であると取られたり。

でも、それって当たり前のことで、だからコミュニケーションをとるときには相手の慣れ親しんだコミュニケーションの作法についても考えなくちゃいけないし、知らなくちゃいけないんですよね。

 

最近の傾向で、機械翻訳が流行っていますが、それを異文化コミュニケーションに使う際には、大前提として「文化に依存する表現やコミュニケーション方法は使わず、言葉が全てとして発言する」ということを参加者全員が理解していないとダメだと思います。これって、過去に外国人と触れ合って色々苦労した人なら自然にわかるんですけど、自分と同じ文化の人しか交流がない人にとっては気付きにくいことでもあるかなと思います。だから、学校で英語を教える時には、日本語を話す感覚で英語を教えるのではなく、日本語の頭と英語の頭で考え方やコミュニケーション方法も変えられるような教え方をしなければいけないと思います。そうしないとリンガフランカとしての英語として機能しないんですよね。

 

なんだかすごくまじめなことを書いてしまいましたが(笑)、お互いの文化特有のコミュニケーションの作法とか理解し合って尊重できる世界が来ればベストですがあまりにもハードルが高いので、そんな感じでほとんどの人が合理的な共通のコミュニケーション方法も自身の持つものに加えて使えるようになれば、少しは誤解も減ったりするのかな~なんて思う今日この頃です。

 

これから社会人になったら会議など発言をしなくてはならない場も増えると思うので、もう少し頭の中を整理して、集中して、わかりやすく伝える力を磨きたいと思います。